観光
港区を訪れたら外せない魅力的な観光スポットです。
書壇院ギャラリー
芝潟橋(しばがたばし)
昭和50年架設、長さ35.5m、幅26.6mの鋼橋。橋名は干潮時に見え隠れする干潟の意という。
芝園橋(しばぞのばし)
昭和59年3月架け替え、長さ19m、幅26m。大正15年1月に古川にかけられ、芝公園の橋という。
芝浦橋(しばうらばし)
昭和45年7月長さ43.1m、幅9.5mの鋼橋完成。橋名は芝浦にかかけられた橋の意であろうといわれている。
鹿島橋(かしまばし)
昭和5年架設、長さ36.2m、幅16.5mの鋼橋。橋名は隣接の鹿島神社の名をとったものであろう。
自由劇場
2003年11月、劇団四季創立50周年を記念した劇場。劇団四季の原点であるストリートプレイの上演を念頭にした小劇場で客席数は約500席。
四之橋(しのはし)
昭和6年1月架設、長さ16.2m、幅10.91mの鋼橋。古川にかけられた橋で、土屋相模守下屋敷前にかけられていたことから、相模殿橋ともいう。橋の南側には、白金商店街がある。
三之橋(さんのはし)
昭和8年3月に架設、長さ16.7m、幅7.5mの鋼橋。古川にかかる橋で当初は木橋で、松平肥後守下屋敷脇であったことから肥後殿橋ともいわれた。
三田図書館
斎藤茂吉居住の跡
青山脳病院があったところ。明治40年から昭和20年まで居住しました。昭和2年、養父の創設した青山脳病院を継ぎ、院長として病院経営にあたる傍らアララギ流の中心として活躍しました。「赤光」「あらたま」などの歌集のほか多くの歌論、随筆を残しています。寮入口は歌碑が建っています。二男の北杜夫が書いた「楡家の人びと」は斎藤家がモデルといわれています。
最初の麻布区役所跡
最初の赤坂区役所跡
最初の芝区役所跡/安養院
最初のフランス公使宿館跡/済海寺
安政6年8月フランス公使宿館の設置となり、公使ド・ベルクールが駐在しました。寺側の記録「外国書願留(がいこくしょねがいどめ)」1冊(区指定)が残っています。
最初のオランダ公使宿館跡/西応寺
安政6年9月公使宿館を設置。初代公使クルチウスらが駐在しました。慶應3年(1867)12月25日の薩摩屋敷焼き打ち事件のときに全焼しました。
佐藤春夫詞碑/慶應義塾大学
佐藤春夫は若き日、慶應義塾大学に学び、その由由清新な校風の中で文学者としての出発を用意しました。母校の一画(図書館裏)に建つ碑には、「殉情詩集」に収められている『断章』の一編が刻まれています。
高輪大木戸
江戸時代は町ごとに木戸を設け、自身番において警固させました。江戸の入り口であるため高輪は大木戸と呼ばれ、旅人が旅装を整えたり、送り迎えされるのもここまででした。第一京浜の線路側に石垣が残されています。伊能忠敬は正確な日本地図を作るため、「高輪大木戸」を起点として測量を初め、17年間かけ自分で考案した測量車を押して全国を歩きました。寛政12(1800)4月19日55歳の時。地図は忠敬が74歳で死んだ3年後、弟子たちの手によって完成し幕府に献上されました。この地図を国外に持ち出そうとして発覚、国外追放となったのがシーボルトです。
高輪図書館
高浜公園
すぐ横を新幹線が通り過ぎます。中央部の築山には生きている化石といわれるメタセコイアが植えられています。秋には紅葉が楽しめます。
高浜橋(たかはまばし)
昭和31年3月高浜運河に長さ56m、幅9mの鋼橋完成。橋名は高輪海浜の埋立地にできた橋の意といわれている。
高浜運河沿緑地
高浜運河沿いの遊歩道にはガラスモザイクの壁画が6枚設置されています。みたて保育園、港南保育園の園児と港南小学枚の児童の絵をもとに造られ、ガラス特有の鮮明で美しい光沢と深みのある色調で優しく暖かな雰囲気を添えています。
香取橋(かとりばし)
昭和36年3月架設、長さ27.1m、幅9.5mのコンクリート橋。橋名は、鹿島神社、香取神社はともに軍神として尊宗をうけており近くの鹿島橋に対しての命名。
港南大橋(こうなんおおはし)
昭和44年6月長さ218.5m、幅24mの鋼橋で京浜運河に架設。橋名は港南町にかけられた大きな橋の意。橋の東側には、港清掃工場と港資源化センターがあり、環境学習のための見学会が開かれている(要申し込み)。
港南図書館
港栄橋(こうえいばし)
昭和35年9月芝浦運河に長さ54.1m、幅18mの鋼橋完架設。橋名は東京港の発展の意をこめてつけられたものといわれている。